鑑識任務36年の中で起きた不可思議現象-1

―― 勤務中に清めの酒を飲めるのは鑑識のみ ――

Mr. Kunio Tojima-001

 事件現場というのは警察が到着するまで厳密な立入禁止が求められる。そして警察の中でも、鑑識が最も早く現場に赴き、まずはそのままの状態を写真に収める。どんなに階級が高い責任者であっても、鑑識より先に現場に立ち入ることはできない。すなわち、現場が殺人などで凄惨だったとしたら、誰よりも先に目の当たりにするが鑑識捜査官たちだ。

 警視庁の鑑識刑事として36年間、毎日といっても大げさではないほど、数多くの自殺、他殺、死亡事故、変死の現場に立ち会った。経験豊富なベテラン鑑識であっても気が滅入る現場というのは普通にあり、息絶えて横たわる死体(遺体)に同情の念を寄せたくなることも少なくない。

 心の隅で何かをひきずっていると、それは不可思議現象としてまとわりついてくることになる。死んだはずの被害者が、ベランダもない事務所の窓の外に立っている(ように見える)。連日の現場検証で疲れていた部下が仕事机に顔を伏せていると思ったら、急に叫び出した。先ほどの殺人現場の被害者が、机の下にうずくまって彼を見上げていたと取り乱す。いわゆる幽霊だ。

 現場の凄惨さもさることながら、幽霊を見るというような精神の不安定から心身ともに滅入り、鬱(うつ)になって退職していく仲間もいた。そのため鑑識では清めや祓(はら)いが欠かせない。勤務中に清めの日本酒を飲むのは警察組織の中でも鑑識のみだ。ちなみに清めなのでビールや焼酎ではない。そして年に1回は正装し、祈祷として日野市の高幡不動尊を訪れる。

 数多くある不可思議現象の中でも、「写真の暗室作業」と「安置所の掃除」に関わる事例は、ほとんど既成事実と化していた。それは誰もが経験していた。

 現場検証の写真は撮った者が責任を持ってフイルム現像と紙焼きを行う。露光、現像、停止、定着などの一連の作業で被害者の姿が紙にだんだんと浮かび上がってくると、肩越しに一緒になってのぞき込む誰かの気配を感じることが多々あった。「横にいるのは、ここに写っている被害者か? 写り具合が気になるのか?」とおののく。はっきり言ってしまえば、現場検証より暗室作業の方がよっぽど怖い。「暗室作業を手伝ってください」と泣きついてきた後輩がいたほどだった。

 ただ暗室内にかかわらず、幽霊と呼ぶべき何かを見るといってもテレビのワイドショーに出てきて視聴者を怖がらすような、血まみれの姿ではない。無表情という印象はあるもののいたって普通の格好だ。人によって見え方が異なるとすればそれはまさしく、その人の気持ち(思い込み)が反映された姿であろう。

 また、安置所の掃除をすると、その日は必ず死体(遺体)が運び込まれた。死体というのは、解剖のために病院に運びこまれたり、警察が引き取ったりたりと、状況に応じて搬送先が異なる。人が死ぬ事件や事故は毎日起きているものの、だからといって警察の安置所が毎日使用されるということではない。安置所の掃除など、鑑識がしなければ誰もやらない。若いころ気を利かせて掃除などしていたら、先輩からよく「掃除なんてするな」と怒られた。そしてその日は必ず、新たな被害者が運び込まれてきたのだ。

戸島 国雄
元警視庁刑事部鑑識捜査官 元似顔絵捜査官 タイ警察・警察大佐