10年前の今日、2010年4月10日は当時バンコクで反政府運動を巻き起こしていた団体、通称「赤シャツ」が治安部隊の陸軍と銃撃戦を繰り広げ、900人の死傷者を出した日です。以下は、newsclipスタッフが続けていた当時のブログのアーカイブから、銃撃戦の取材の部分を抜粋したものです。

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奇声を挙げて民主記念塔を埋め尽くす赤シャツ


 移動手段はまたバイクタクシー。今度も200バーツと言われ、
「お前、赤シャツだろ。オレは赤シャツの取材をしにいくんだから負ける」
とすごんだら、やはり150バーツになった。ところがこのバイタク、飛ばすわ、信号無視するわ、赤信号を進めと思っているかのような、とんでもない輩だった。この後、コークウア交差点で銃撃戦に巻き込まれることになるのだが、バイクに乗っている方が銃撃戦の弾よりよっぽど怖かった。

 パーンファー橋に着く。日本のテレビ局の知り合いが3人、ヘルメットをかぶって歩いているのが見えたので声をかけると、
「メットもかぶってないんすか」
と注意されてしまった。辺りはすっかり暗くなっていたが、「パーンファー橋の同志を助けろ」を合言葉に、赤シャツが続々と集まってきている。この辺りでは軍がヘリコプターで催涙弾をまき散らしたほか、赤シャツと撃ち合う騒ぎあった。ヘリコプターは相変わらず飛び回っていて、赤シャツが風船やロケット花火で攻撃を仕掛けているが、ヘリコプターには全く届いていない。

 パーンファー橋や界隈の国連本部など一周りしてみるが、新たに衝突する気配はなかった。軍の姿も見えない。疲れてきたので帰ろうとすると、赤シャツのためにカーオパット(チャーハン)の炊き出しをしている屋台があり、そこのおばさんに食べていけと声をかけられた。その横の若者がペットボトルの水を差し入れしてくれる。

 食べ終わって礼を言い、もう帰ろうと歩き出すと今度は前方からやって来る赤シャツのおばさんに
「あんた記者かね? もう帰るのかね?」
と声をかけてくる。そのつもりだと答えると、
「向こうで撃ち合いがあって人が死んでるでしょ。撮りに行きなさいよ」
と命令口調。コラボ相手が言っていたコークウア交差点のことだろう。帰りたかったのだが、おばさんの言葉に従ってUターンする。

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コークウア交差点近く、木材でバリケードを造る赤シャツ

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陸軍兵士は装甲車を出動させ、実弾で排除を試みる

 撃ち合いが起きたというコークウア交差点に向かう。大通りのラーチャダムヌン・クラーン通りは騒ぎを聞いて駆け付けてきた赤シャツメンバーで芋洗い状態、プラスメーン通りという道にそれて先に進む。するとこちらは赤シャツによるバリケードで通行止め、数十メートル向こうの交差点では陸軍兵士が横一列で並び、こちらを警戒していた。

 バリケードにとどまって様子を伺う。5分10分経ったころだろうか、いきなり銃を連射する音が聞こえてきて、横一列に並んだ兵士がバラバラと態勢を崩した。赤シャツは軍が引き揚げたと勘違いして歓声を挙げたがそうではなく、兵士たちは左側からいきなり銃撃を受けたようだった。こちからだと交差点を左折した方向、すなわち民主記念塔から撃たれている。

 一瞬歓声を挙げた赤シャツも、何が起こったか分からずに静まりかえる。陸軍兵士はこちら側の赤シャツそっちのけで、民主記念塔の方向に銃を撃ち返している。前方から兵士に撃たれ、後方から赤シャツに攻撃されるのが怖かったが、ここにとどまっていられない。バリケードを乗り越えて兵士たちの方に向かって走る。撃ち合っている相手はやはり、民主記念塔の周辺を封鎖していた赤シャツだった。この現場、おばさんの炊き出しを断り、もう1人のおばさんから取材しろと怒られていなかったら、危うく外していた。

 兵士たちが銃を連射している先に民主記念塔が見え、ここがディンソー通りであることが分かった。少し行けばバックバッカーの聖地、日本人旅行者も多いカーオサーン(カオサン)通りだ。兵士たちの撃ち込み方があまりに激しく、赤シャツ相手になぜそこまでムキになっているのか不思議に思ったが、すぐに分かった。兵士たちが装甲車の裏に隠れたり逃げ込んだりしている間も、連射音が響き渡っている。赤シャツが撃っているのも軍用銃なのだ。信じられないことだが、民間人が軍用銃を持ち出して軍と撃ち合っているのだ。この日に、軍用銃の中でもより威力があるカラシニコフ銃を撃つ「黒服」集団が赤シャツの中にいることが発覚。以後も彼らは赤シャツ側に立って軍とやり合っていた。
 兵士たちは交差点の真ん中で、赤シャツのバリケードがあるプラスメーン通りを警戒しつつ、民主記念塔の方面から撃ってくる赤シャツにも応戦しなければならず、たじろいでいた。誰もが、赤シャツが軍用銃を持ち出してくるとは想定していなかった。物陰から民主記念塔を伺ったが、銃声がひどくて頭をうかつに出せない。

 銃声が響き渡る中、兵士の1人の銃がジャム、隊長らしき兵士に修理を頼む。この隊長、銃撃戦のまっ最中に装甲車の上に座り込み、平然と敵に背中を向けていた。

 10人ほどの兵士が民主記念塔の方向に前進していく。彼らの後を追うが、赤シャツからの撃ち込みが激しくて電柱や植木に隠れながら前に進むのがやっと。兵士たちはさっさと前進して姿が見えなくなってしまった。斜め前に1人、遅れ気味の兵士が体を隠すのにやっとの物陰に、何とか隠れていた。こちらも直径20センチほどの細い電柱に頭と心臓部分の体を隠して、何となくかっこ悪い。振り返った彼と目が合う。こういうとき、どのような状況下でも目が合った同士は必ずニヤっと笑うもので、今回もそうだった。カッコ付けているのではなく、カッコ付けていると思われていそうで照れるのだ。切羽詰った状況でも、ついついそんなことを考えてしまう。

 そして、そんなときに限って携帯が鳴る。同業の日本人。電話を取ると、
「日本人が死んだって聞いたけど、お前じゃないみたい」
と、相手は一方的に言って切った。

 この場所で亡くなったのは、ロイターの村本博之氏だった。コークウア交差点はここからもう少し先にあり、昼間に銃撃戦が起きたとニュースが伝わっていたが、夕方過ぎにはこちらのディンソー通りでも銃撃戦が起き、そのときに村本氏が撃たれたようだった。氏が最後に撮ったとされる映像は確実に、ディンソー通りから見た民主記念塔を映していた。

 今回の銃撃戦はその後に起きた2回目のそれで、午後9時ごろにようやく未確認情報として「日本人が死んだ」というニュースが在バンコク日本人に伝わり、こちらにも何人もの知り合いから電話がかかってきた。銃声がバンバン鳴っているのに心配もしてくれず、たいていの電話が
「あ、生きてる」「あ、お前じゃなかった」の一言で切れた。

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身を隠して赤シャツ側を伺う陸軍兵士

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撃ってくる赤シャツを背にして、平然と部下の銃を直す隊長

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物陰に身を隠して前進を試みる兵士たち

 ディンソー通りを数メートルも進めずにのろのろしていると、前進していた兵士の1人が戻ってきて、「ペー(衛生兵)!」と叫ぶ。どうも前方で兵士が負傷したらしい。衛生兵が担架を担いで走っていった。数分もすると、担架に乗せられ、腕を取られ、担がれて、前進したほとんどの兵士が負傷して帰ってきた。そのうちの1人はすでに死んでいて、取り囲む兵士らは誰もが、民間人を相手にどうしてこういうことになるのかと、唖然としていた。

 銃声が止む。銃撃戦は30分程度で終わった。しばらくすると、赤シャツ数人が前方から平然と歩いてきて、周辺に落ちている空薬きょうを拾っている。そのうち1人の若者が、装甲車をバックに写真を撮ってくれといってくる。まるで観光客。
「こっちはさっき死人が出たんだぞ」
というと、
「向こうは5人死んだ。脳みそが道路に落ちているから見に行ってくれば」
と、平然と返してきた。2010年4月10日のディンソー通りでの銃撃戦では、赤シャツによる軍用銃の使用など想定外だった。軍は情けないことに、民間人を相手に後退を余儀なくされた。

  赤シャツの若者に言われたとおり、民主記念塔の方に向かう。そこは赤シャツで埋め尽くされていて、誰もが殺気立っていた。軍の装甲車が何台も立ち往生、中にいた兵士が引きずり出されていた。若い連中は兵士を袋叩きにしそうな勢いだったが、年配の男に「止めろ」と怒鳴られていた。そのような兵士が3人も4人もいてどこかに連れ去られたが、そんな混乱の最中にいる自分が嫌になり、写真を撮る気もしなかった。

 民間人がどうして自国の軍とやり合うのか、兵士ともあろう者が装甲車に乗っていながら、どうして民間人にいとも簡単に捕まってしまうのか理解できなかった。タイ人カメラマンが装甲車の前で赤シャツに袋叩きに遭っていたが、どうでもいい他人事のように思えて、そのまま無視して通り過ぎた。

 確かに、路上に脳しょうを残っていた。赤シャツがカメラマンを見つけるたびに、
「軍に撃たれた。お前はこれを撮れ」
と叫ぶ。その脳しょうは、軍を正面にすると90度の角度、前方の軍からではなく真横の誰かから撃たれたように残っていて、軍に撃たれたという言葉を鵜呑みにすることはできなかった。

 民主記念塔の前では、赤シャツが装甲車の上に乗って奇声を上げていた。この騒ぎに付き合っているのがほとほと嫌になり、近くに停まっていたトゥクトゥクに乗って、地下鉄(MRT)の駅まで送ってもらい、地下鉄で帰る。銃撃戦があって人が死んでいる横で、普通にトゥクトゥクが客を拾い、地下鉄は普通に運行していて、乗客は普通の生活をしていて、このギャップは何なのかと思ってしまう。

 これだけの死者が出てしまったら、アピシット首相も辞めるしかないだろう。家に着くころには辞任しているはずだと思い、家に着いてテレビのスイッチを入れてみたが、アピシット首相は平然と赤シャツの暴挙を非難していた。たいしたいものである。

 この日1日だけで、25人前後の死者、850人前後の負傷者を出した。

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死傷者を連れて後退する陸軍兵士

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負傷した兵士が救急車に運ばれる

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結局、死んでしまった兵士