鑑識任務36年の中で起きた不可思議現象-4

―― バンコクで見損ねた幽霊 ――

20200808-002
 魂の存在を強烈に感じたことがある。日本での知り合いの女性の死だ。警視庁での宿直の夜に都内の病院から電話があり、見舞いに来てほしいと告げられた。彼女はこちらが警視庁にいると知る由もなく、こちらも彼女が入院中と知らず、電話口の看護師も伝言を頼まれただけと言っていた。

 不思議な気持ちで件の病院に赴くと、彼女はすでに意識がなかった。病室には夫と娘がいて、夫が何かの用事で席を外してしばらくすると、娘が急に倒れて痙攣(けいれん)し始めた。失禁までする娘をソファに寝かすと、気絶したまま何やら話し出す。よく聞くと、「見舞いに来てくれてありがとう」「これまでお世話になりました」と言っている。声は母親のそれ。ベッドを見ると母親は意識がなく眠ったままだ。一体どちらが喋っているのか分からず、2人の顔を見比べながら、鳥肌が立ってきた。

 10分もそんな状態が続いただろうか、部屋に戻ってきた夫がソファに倒れていた娘を抱きかかえる。ほどなくして意識を取り戻した娘は、どうして自分が失神したことも何を話したかも覚えていなかった。知り合いの彼女はほどなくして死に至った。日本に住んでいたころは毎年かかさず墓参りに行っていた。

 彼女の魂が娘の体を使って気持ちを伝えにきた、と純粋に考えれば良い。それを憑依だの生霊だのと騒ぎ立てるから胡散臭くなる。火災で大勢の死者を出したホテルニュージャパンで、現場の警備を任されていた学生たちが何とも頼りなく、「『水をくれ』という声や『ひいひい』という泣き声が聞こえても、ただの幽霊だから気にするな」とハッパをかけたところ、何人かが本気にして逃げ出してしまったことがある。それを週刊誌が「刑事が話す心霊現象」として煽り立てて心霊スポット化させてしまい、騒ぎを起した張本人ということで上司に怒られ、始末書まで取られた。(魂ではなく)幽霊と言ってしまったのが失敗だった。

 ここタイでは、「幽霊かどうか見極めてくれ」という頼まれごとがあった。在留邦人が多く居住するバンコク都内アソーク界隈で、「(コンドミニアムの)自室に夜な夜な幽霊が出てくる」と憔悴する単身の駐在員がいた。深夜2時ぐらいになると、ベッドの足元に背を向けてしゃがみ込んでいるOL風の若い女性が現れ、何やら書類を破りながら泣いているのだという。

 「一晩泊まって欲しい」とのことで部屋に上がり込んだ。室内には日本の実家から送ってもらったという川崎大師のお札が何枚も貼ってある。タイの幽霊に効くのかどうか。しばらくはまじめに座っていたものの、手持ち無沙汰で部屋にあったウイスキーを丸々1本空けてしまい、酔ってそのまま熟睡。目を覚ますとすっかり朝になっていた。もちろん、幽霊が出てきたかどうかなど分からない。

 耐えきれなくなった本人はしばらくして退職、日本に戻っていった。後日、妻子持ちで幸せなはずの日本人がそこで飛び降りた。「日本人がアソークで飛び降り自殺」と聞き、件のコンドミニアムだと直感した。
 
戸島 国雄
元警視庁刑事部鑑識捜査官 元似顔絵捜査官 タイ警察・警察大佐