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タイ77景

 「夜明けの町」「始まりの町」という意味の県名。多くの政府機関が北部に区分けしているが、中部ナコーンサワンの下にある県で、チャオプラヤー川を中心に広がる。 タイ中央部の先住民族であるモン族が川沿いに集落を形成したのが始まりで、後のタイ族の移動によってスコ
『タイ77景(52)ウタイターニー県(Uthai Thani) タイ北部』の画像

 マレー語の丘を意味する「ブキット」が語源といわれるプーケット。紀元前1200年ごろには島の存在が知られ、紀元前1世紀には西からの人間として初めてエジプト人が上陸したと紹介する書籍がある。紀元1世紀ごろにはインド洋の主要航路の中継地となり、16世紀にはペルシャ、
『タイ77景(51)プーケット県(Phuket) タイ南部』の画像

 タイ中部で最も北に位置する県。タイ政府観光庁(TAT)など一部の政府機関は、ナコーンサワンを北部に区分けしている。北からのピン川とナーン川が合流、チャオプラヤー川と名前を変える地点。水が豊かな土地で、ブン・ボーラペットというタイ屈指の湿地帯がある。洪水の時
『タイ77景(50)ナコーンサワン県(Nakhon Sawan) タイ中部』の画像

 タイ東北部(イーサーン)のほぼ中心に位置する。マハーサーラカーム総合大学やラーチャパット大学マハーサーラカーム校など教育機関が集中、学生街として知られる。 元々は隣県ローイエットの衛星都市として発展した。東北部の中でも特に仏教が盛んな町だったといわれ、
『タイ77景(49)マハーサーラカーム県(Maha Sarakham) タイ東北部』の画像

 スコータイ王朝 (1238~1448年)の衛星都市として機能した古都。カムペーンペットは「ダイヤの壁=硬い壁」を意味する。アユッタヤー(アユタヤ)王朝(1350~1767年)でも当時のビルマを相手に要衝の役割を果たした。 県の東半分はタイにありがちな延々と続く平地。西半
『タイ77景(48)カムペーンペット県(Kamphaeng Phet) タイ北部』の画像

 バンコク近郊ながらも山深い自然に恵まれた県。隣県のナコンラチャシマ、プラチンブリー、サラブリーと共に、カオヤイ国立自然公園の一角を成す。ユネスコの世界遺産「ドン・パヤーイェン‐カオ・ヤイ森林群  自然遺産/2005」に指定されている。 山がちで滝が多いの
『タイ77景(47)ナコンナーヨック県(Nakhon Nayok) タイ中部』の画像

 タイ東北部のほぼ中心に位置する県。今でこそジャスミン米が県の特産となり、市内には貯水池など水が豊富に蓄えられているが、昔はあまりの不毛さに、(16世紀ごろに)移住してきたラオス人が泣いたという逸話が伝えられる。 ローイエットという県名は101という意味。昔は
『タイ77景(46)ローイエット県(Roi Et) タイ東北部』の画像

 北部からの2つの川、ヨム川とナーン川が並行して流れる県。肥沃な大地が広がることから、1,000年以上の昔に農業が始まり、スコータイ、アユッタヤー(アユタヤ)、現ラッタナーコーシンと、いずれの時代も主要都市として栄えた。ピジット市内には旧市街が残り、アユッタヤ
『タイ77景(45)ピジット県(Phichit) タイ北部』の画像

 隣県のシンブリーやアーントーン同様、アユッタヤー(アユタヤ)時代に活躍した県。ビルマ軍の攻撃から首都アユッタヤーを守る要衝で、県名は「勝利の地」を意味する。 スコータイ王朝以前のタワーラーワディー(ドヴァーラーヴァディー)時代、チャオプラヤー川流域には
『タイ77景(44)チャイナート県(Chai Nat) タイ中部』の画像

 タイは中部と南部の境界があいまいで、プラーチュアップ・キーリーカン県を南部とみなす場合があるが、たいていは同県南隣のチュムポーン県から下とされる。東西40キロ弱、南北200キロ以上の細長い県。 タイ湾とアンダマン海の2つの海を結ぶ交易路が紀元前より、チュムポ
『タイ77景(43)チュムポーン県(Chumphon) タイ南部』の画像

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