newsclip.asia

日本語総合情報サイト newsclip.be 姉妹サイト 現場ありきの取材で情報収集!



黄(PAD パンタミット)

 スワンナプーム空港封鎖が始まった翌日の11月25日、バンコクのもう1カ所の空港、ドーンムアン空港も封鎖された。誰もが「3日で終わる」と見込んでいたが、対処すべきソムチャーイ首相は地元のチェンマイに逃げたまま、警察は首相からの強制排除の命令を無視したまま。封鎖
『【note】3日間の見込みがダラダラと8日間、国内外の全便を止めた空港封鎖』の画像

 スワンナプーム空港というのはそもそも、「タクシンが好きで造った」というイメージが強かった。タクシン政権のときに建設が始まり、開港直前の2006年9月にクーデターが発生。タクシンはドーンムアン空港から出国したままタイに戻ってこられなくなった。…… 以下は、note
『空港封鎖 オヤジはチャリンコを乗り回し、子どもはバトミントン』の画像

 パンタミットが2008年11月25日、一国の玄関口であるスワンナプーム空港をとうとう封鎖した。タクシンの傀儡(かいらい)と呼ばれたサマック政権が空中分解したものの、その後に立ち上がった義弟のソムチャーイによる政権はなかなか倒れなかった。その風貌から、…… 以下
『【note】クーデターでも暴動でもない、日系企業に最も打撃を与えたのは空港封鎖』の画像

 警官隊が調子に乗り過ぎ 催涙弾で死者2人、負傷者400人 数十分続いた警官隊による催涙弾発射が落ち着くと、今度は数百メートル先の旧国会議事堂前の広場から、催涙弾を撃つ音がボン!ボン!と鈍く聞こえてきた。そちらに向かうと、広場は催涙弾で白く煙り、パンタミット
『【note】警官隊が調子に乗り過ぎ 催涙弾で死者2人、負傷者400人』の画像

 2008年10月7日、国会議事堂前に集結していたパンタミットのデモ隊が騒ぎ出し、周辺を警戒していた警官隊が催涙弾を使用した。パンタミットと警官隊は朝っぱらから衝突。催涙弾は朝と昼の2回使われ、催涙ガスを吸って逃げ惑ったり、混乱の中でケガをしたりと、負傷者が続出
『【note】朝から晩まで催涙弾撃ちまくり』の画像

 首相府前の道路に舞台を設置し、テントを立てて「村」を造り上げていったパンタミット。いつの間にか、座り込んでいただけの首相府の庭にもテントを立ててゴザやビニールシートを敷いて寝起きできるようにし、長期戦を見込んだ態勢を整えていた。…… 以下は、note の連載
『【note】田植えで気を紛らわす首相府の占拠』の画像

 2008年5月に再開したパンタミットのデモ集会。首相府に乗り込んで以降、より過激に、より大規模になっていった。当時の首相はサマック。失礼ながらビジュアル的にいくらでもコケにできるとあって、誹謗中傷はエスカレートする一方だった。 サマックはかつて市民党という一
『【note】非常事態を宣言した首相、一週間後に自分が失職』の画像

 2006年9月から続いた軍政が2008年2月6日に民政へと移管、タクシン派のサマック政権が発足した。それに伴ってタイでは再び反タクシン運動の気運が高まる。「現政権はタクシンの傀儡(かいらい)!」。2008年5月下旬、パンタミットは反政府集会を再開した。政府により揺さぶり
『【note】首相府前の座り込みに飽き足らず、柵を乗り越えて庭に居座り』の画像

 反タクシン集会が連日続く最中、タクシンは「民意を問う」目的で解散を決断、2006年4月2日の選挙に打って出た。その選挙といえば、民主党など主要野党がボイコット、当然のごとくタクシンの愛国党が大勝。タクシンは勝利宣言によって反タクシン派の動きを押さえ込もうとし
『「明日からやることがない……」集会の終結、そしてクーデター』の画像

 2006年2月4日に1万人を集めたパンタミットの反タクシン運動は、その後どんどん過激になっていった。2月下旬には旧国会議事堂前から(タイで最も格式高い広場である)王宮前広場に場所を移し、それに伴って参加者をどんどん増やしていった。しかし集会を何度開いたところで
『主催者も参加者もメディアも雑魚寝、連日夜通しで続く集会』の画像

↑このページのトップヘ

Copyright, NECOS (Thailand) Co., Ltd., Inc. All Rights Reserved. newsclip.asiaに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。
สงวนลิขสิทธิ์ตามพระราชบัญญัติลิขสิทธิ์ พ.ศ.2537 (ปี 1994)